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“里楽素通信”~若女将Get編~



接客、そこから見える考え方

 サービス業では、接客が大切な要素になる。

 と、言うととにかくお客様第一と考える人が多い。特に現場を良く知らない経営コンサルタントや、他業種からサービス業に憧れを持って転職してきた人にはものすごく多い。

 会社・企業の中にとりあえず表向きはそう掲げているところが多いのも、こういう人たちを勘違いさせてしまう原因ではあるが、本来誰が第一だというような単純なことばかりではないので、実際に働いて違和感を持つ人が多いのじゃないだろうか。

 しかし、今世間では「クレーマー」の存在がクローズアップされつつあるように、現場では是々非々の対応が必要となってきている。

 接客業に慣れていないと、なんとクレーマーとそうでないものとの区別すらできないなんてことになるのだが、そうなると、なんでもかんでも“お客様”の言いなりとなってしまう。

 そういう対応をよしとする考え方もあるだろうが、私はちょっと、いや、かなり違う。

 お客様も人間、私も同じ人間。だから間違いもあるし、考え方、感じ方の違いもある―と思うのだ。

 「お客様は神様です。」という考え方とは根本からして異なっているのだ。

 私からすれば、「はいはい、お客様の仰ることはもっともでございます。全てこちらがいけないのです。」などというのは、逆に人として、そのお客さんを馬鹿にしてるんじゃないかと思う。
 それは私の目には、駄々をこねている小さな子供を「はいはい○○ちゃんの言うとおりね」ってあやしているようにうつるのだ。

 こういう考え方、やり方をする会社や人がいても悪いとは思わないが、自分がそうなろうとは考えない。


 宿屋に生まれて40年も経つと、クレーマーかどうか、すぐに分かるようになる。

 対応もその時々で変えることになるが、現場知らずのコンサルや、まだ日の浅いスタッフにはそのことは全く理解の外ということになるだろう。

 今日もちょっとそんなことがあったんですけどね。私の態度をみてがっかりって言ったスタッフがいたけど、きっとそのスタッフには一生そういうことが分からないかもしれない。人間って自分が正しいと思うことこそが正しいというだけの生き物だからね。

 私は自分の考え方や、生き方が必ずしも“正しい”とは思っていない、と言ったらみんな驚くだろうか。

 間違ったことをわざわざしようと思っているわけじゃない。ただ、何が正しくて、何が正しくないかなんてことは、状況によっても人によっても、時代によってもがらりと変わるものだと思う。

 私が思うのは「これが正しい」「こうあるべきだ」という考え方、生き方を私は採っていないんだな~ということ。そうじゃなくて少し違ったものの見方、考え方を基準にしてるんだな~。

 だから、世間一般でいう、きちんとした人や、まじめな人には私を受け入れられないかもしれない。

 でもいいよ~、そういう人たちはそういう人たちでやっててね。私はそれを否定はしません。でも私は私の生き方をしていこう~って思ってる。でも、よき理解者がいたらちょっと嬉しいかも。


 もし、こういう変わった奴と、新しい宿創りをしようって思ったら連絡下さい。
      
       39歳・独身・血統証無し。女将=お嫁さん大募集中!!


 
  こんな変わり者がどんな宿創りをするのか、できるのか乞うご期待!!
# by tsuruya-ryokan | 2006-10-01 22:50

聞かないでっ!あるいは聞く人選んでっ!

 人は旅に出ると、突然“向学心”がムクムクと沸き起こる。

 これは宿をやっている人の間では“定説中の定説”である(と思う)。

 E0 = mc2 くらい有名である(んじゃないかな~)。

 
 こんな山の中に住んでいると、まわりは木や草花だらけ。すると、お客さんの中には、「あの木はなんですか?」「この花はなんて名前?」ってヒジョーに無邪気な感じで聞いてくるんですね。

 こちとらもう40(歳)を目前にしたおっさんですよ。それも独身ですよ。それも血統証付かっつーくらいのまごうことなき独身のおっさんですよ(もちろん付いてません、血統証・・・)。

 もしね、「あ~あの花は○○って言う名前でね、××科に属していてね、花言葉は・・・」なんて立て板に水で40男(独身・血統証無し)がしゃべったら、フツーちょっと気味悪くない?

 これが植物学の教授だとかね、フラワーアートやってる人とかね、あーなるほどねって言うような人なら分かりますよね。

 でもね、おっさん(血統証無し)ですよ。花とかね、もうほとんど縁がなさそうな。

 例えばアイドルグループのKAT-TUNの写真を見せて「このグループの名前は何でしょう?」って聞くとしたら、やっぱり原宿とか、渋谷とか歩いてるような若い女の子あたりに聞くのが常道と言うものでしょう。
 
 巣鴨とかね、新橋とかでは聞かんでしょう。新橋のサラリーマンのお父さんに聞きます?
 そんなことした日にはお父さんも困っちゃうでしょ、やっぱり。
「答えはKAT-TUNて書いてカツーンて言うんですよ」って答えを教えても、「えっ、カツーン、、、そういえばガキの頃そんな名前のアニメやってたよな。えーと、なんつったかな、そうだっ!確か、新造人間なんとかっつーような・・・」

 お父さん、お父さんそれキャシャーンですからっ!ちょっと似てるようだけど違いますからっ!

 って、あらぬことになっちゃいますから。

 でね、私知りたいんですが、そういう質問してくるお客さん、普段そんなに花の名前とか気にしてます?ってことなんです。

 おそらく普段はそんなに気にしてないんじゃ・・・。


 と言うことで、お客さんに聞かれた時に、「まっ、ここはひとつテキトーに答えとけ」ってその場しのぎで「その花は○○じゃないですかね~」なんて答えると、「いや、○○じゃないよ、絶対。○○なら知ってるもん。」なんて返されたりね。

 「絶対って、あ・な・た・・・よりによって、知ってる花を言っちゃったんですか・・・わ・た・し・・・」

 「だから、おっさん(血統証無し)だっちゅーの」←心の声・・・声と言うか、むしろ叫び。叫びっていうより、むしろムンク。


 で、今まで生きてきた中で蓄えられてきた僅かな知識が入っている頭の中から、花の名前を検索―

 バラ、チューリップ、ひまわり、ひまわり、ひまわり、え~と、ひまわり・・・りんご、、、って、あまりの動揺にいつしか、しりとりになってしまう。

 もうムンクを通り越してガッツ石松ですよ。OK牧場ですよ。OK牧場ちゅーより、KO牧場ですよ、状況的には。

 
 
 もし、あなたが旅に出た時。そして普段、あまり気にならないのに旅先で花や草木の名前が無性に知りたくなった時、この話を思い出して下さい。

 そして、たまたま近くにいる宿の人に聞く前にあたりをよく見回して下さい。ひょっとしたら、聞くべき適当な人が他にいるかもしれません・・・。


 追伸:ちなみにアニメや特撮ヒーローのことなら私に聞いてください。
    本文中の「新造人間キャシャーン」ですが、かなり多くの方が
    「人造人間」と間違って覚えてます。正しくは“新造人間”です。
# by tsuruya-ryokan | 2006-09-20 00:47

秋!

 皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 もし、まだ暑いということでしたら、この場を借りて残暑見舞いもうしあげます(←ついでみたいでスミマセン)。
 
 暑い暑いと思っていたら、私のとこではもう寒い寒い。

 すっかり秋です。なにせ標高が1400メートルありますから。

 そんだけ高地にあると、もう秋を通り越して冬の気配も漂っちゃってる。

 いや、ホントです。決して大げさでなく。何しろ長く厳しい冬を歳の数だけ経験すると、理屈でなく体がそれを感じ取るんですね。まあ、トラウマみたいなもんです。

 短い夏、さらにあっけない秋がきて、すぐに冬・・・・。これの繰り返し。そんでこの冬の来かたの速いこと速いこと。

 谷川名人並です(←わからなかった人は、将棋マニアに聞こう!)。

 「夏終わりなば、冬遠からじ」

  今年は雪が少なければいいがな~。
# by tsuruya-ryokan | 2006-08-30 22:38

リーダーは孤独。 ―失敗論―


 失敗とは何だろう?

 私は失敗には2種類あると思う。

 ひとつは、誰もがついしてしまう、うっかりミスのようなもの。「人間だから失敗もあるよ」という感じの、いわばあまり根の深くないものだ。

 例えば旅館の例で言えば宴会の後方付けなんかで、皿を割っちゃうとか、スーパードライを注文されたのに、一番しぼりを持っていっちゃうとかね。こういうことは、失敗してもいいということじゃないけれど、起こりうること。

 特に人一倍動く人はその確率だって高くなるわけで(後片付けで10枚皿を運ぶ人より30枚運ぶ人のほうが単純にいって3倍割る確率が高くなる)、必ずしも100パーセント攻めるべきものじゃない。怪我に例えれば、カッターで手を切っちゃったというような、ちょっとくらい傷口が大きくて血が出ても、命にかかわるなんてことのない、そんな感じ。
 
 何度も繰り返される場合は別として、「次から気をつけようね」となる、そういう類の失敗。


 もうひとつは、一見たいしたことのない些細なことだけれども、実は根が深くて深刻な失敗だ。
これは、いずれ大きな失敗につながることになる。ただし、はじめは本当に一見たいしたことに見えないため、それとはつい気づかずに見逃してしまうことさえある。

 傷で例えれば、傷口は小さく出血がほとんどなくとも、ピストルで心臓を打ち抜かれていれば、それは致命傷となる。

 恋人同士や、親友同士で、あるとき本当に取り留めのない会話の中の些細な一言で「えっ?それは違うんじゃないの・・・」って思って、それ以来その相手をなんか信頼できなくなった、そんなことって誰しもあると思う。
 
 価値観や世界観がぜんぜん違うっていうか、そういう驚きというか衝撃みたいな経験。

 そこから生み出される失敗というのは、相手にとっては「なんでそんなことで?」みたいになりがちで、理解を求めることからして困難(あるいは不可能)だったりするのも厄介な点だ。

 
 つい先日私の身にも起きてしまった。

 外での用事を済ませて家に帰ると、彼らはその作業(仕事ではない、少なくとも私は仕事とは思わない)を淡々としていた。

 私は驚いた。怒りよりもそれは驚きだった。私は何度となく私の考えていること、やろうとしていることを話してきたつもりだった。しかし、目の前で行われていたその“作業”はまさに私のそれまでの考え方、やり方を真っ向から否定するものだった。

 勿論彼らは、嫌がらせでそれをしたのではない。彼らなりに良かれと思ってのことだろう。それがまた問題でもあるのだが・・・。

 少し考えれば、あるいはほんの少し“感覚”を用いれば、その“作業”をすることに違和感を覚えたはずだ。

 それが誰一人、ほんのわずかの違和感も、疑問も持つことなく、その“作業”は淡々と進められていた。


 彼らは私が「何でこんなことしてるんだ!」と叱ったり、どんなに私が「これは間違ったことだ」と説明しても心から納得や理解はできなかったろう。

 それどころか彼らはそれを“失敗”とさえ思わなかったろう。「これをしたからって、別にどうこうなるわけでも」くらいにしか思わなかったろう。

 しかし、すべてを周到に計画してきた私からみればそれによって、それまでの努力が一瞬で無意味なものになることははっきり見えていた。

 
 目の前で大きな音を立てて何千円もする皿が割れたときは、その失敗ははっきりと分かる。分かりやすいので反省もするだろう。

 しかし、この失敗は音もしないし、粉々になった目に見える残骸もない。失敗と気づきづらいのだ。

 だが、こちらの失敗のほうが実は根が深く深刻だ。長期的にみれば何千円でなく、ウチの経営にさえ影響がでかねないことなのだ。

 つまり「コトの本質」にかかわる失敗だったのだ。


 本当はきちんと叱って注意しないといけない。しかし、彼らは私の言うことを理解できなかったろうし、まして納得も反省も“できなかった”に違いない。


 私はこう思う。そもそももし私が言って簡単に納得したり反省するくらいなら、初めからこんな“失敗”をしでかすことはなかったろう―と。


 この日、私は食べたものの味が分からない程、打ちのめされ途方にくれた。


 数日経った今、残された力を振り絞って振り出しに向かってとぼとぼと歩いている。


 一緒に戦う仲間を見つけられたと思ったのは幻想だったのか・・・と自問自答しながら・・・。

 

     また、ゼロから始めなければならない。この厳しい戦いを。

     
      たった一人で。



 
# by tsuruya-ryokan | 2006-08-01 00:33

暑い!


 私用で大阪に行ってきました。

 暑かったです。私の住んでる所は標高1,400メートルあるので、あまり暑くなりません。真夏でも朝夕はちょっと寒いくらいです。

 大阪はもう蒸し暑いのなんの。じっとしていても、ジトーっと汗が噴出してきます。

 夜はたまらずエアコンつけて寝ました。

 草刈みたいな作業をしたんですが、気を失うかと思いました。私は大阪生まれで、第二の故郷と思っているんですが、この大阪の暑さだけは勘弁して~て感じです。


 逆に冬は信州のほうが厳しい。私の住んでるところは一番寒い時はマイナス20℃くらいまでなりますからね。バナナで釘打てますよ。ホント。

 これはこれで勘弁してほしい。


 夏は信州、冬は大阪で暮らせればな~と思う今日この頃です。
# by tsuruya-ryokan | 2006-07-27 21:22


山奥の秘湯の宿の日常を面白おかしく語ります!

by tsuruya-ryokan
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